尊厳死と看取る人

慢性腎不全の方が、鍼で身体を整えながらのんびりと暮らしていました。慢性腎不全はクレアチニン値が8がぐらいになると人工透析になります。透析をしないと、あっという間に死に至ります。

この方は「80年以上生きたから、透析はしたくない。」と言っていました。その気持ちを日本尊厳死協会を通し、家族にも伝えていました。

 

しかし、尊厳死を娘さんは受け入れていません。「人工透析をするように、先生からも説得して欲しい」と言われました。

私は鍼の施術を提供する立場で、その方の死生観に口は出せません。ただ、何年も付き合いがあるおばあちゃんのクレアチニンが上がったら、あっという間にお別れになるのは寂しいと感じていました。

 

ある時、この方のクレアチニン値が上がり始め、「来る時が来た…」と思いました。体調が悪くなり、通院が出来なくなってので往診に行きました。部屋で呼吸が苦しそうに横になっているおばあちゃんがいました。

鍼をするとむくみが引き、顔色が変化し、呼吸が楽そうになりました。そして、施術が終わる頃にはスヤスヤと眠ってしまいました。

体調の安定したので「病院への移動は救急車でなく、家の車で行きたい」という本人の希望が叶いました。そして入院して、しばらくして息を引きとったそうです。潔い、安らかな死だったと娘さんから聞きました。

 

娘さんは母親の死が受け入れ難く、塞ぎ込んでいました。尊厳死はご本人の意思ですが、娘さんにとっては「看取る覚悟が出来ないまま迎えた死」となり、体調を崩してしまいました。(今は元気です。考え方に変化があったそうです。)

 

逝く側と看取る側、よく話し合い、お互いの気持ち、死生観をすり合わせられると良いのでしょうが、難しい問題です。